ずっと働くを考える その4 定年という概念
2019.12.15
ずっと働くを考える。
第1回では日本の人口動態について観察し、高齢者の定義を75歳以上とするとどうなるのかを見てみました。
第2回では隠居、第3回では老後という言葉が持つもともとの意味について考えてみました。
そんなわけで第4回では定年というものについて考えてみたいと思います。
日本における定年という概念の始まり
日本で最初に定年の概念が生まれたのは、なんと、奈良時代(なんとだけに)。
養老律令(757年)にこんな記載があるそうです。
凡そ官人年七十以上にして、致仕聴す。
宮仕えの人間は、70歳を超えたら、致仕―辞職をするべきだ。
と言う事ですね。
しかし、奈良時代の70歳と言ったら、今でいう90歳くらいの感覚ではないでしょうか。 それは確かに引退した方がいいような気はします。そうですね、「この年になって働くのはさすがに無理なんじゃない?という限界で引退するのがいいよ」というメッセージに読めます。
さらに大事なことは、辞職すべき、と言っているわけで、あくまで自発的な引退なんですね。今の定年退職は強制的な雇用の終了ですから、実は全く違う事を言っているわけです。
定年は中国が起源
この養老律令、もともと礼記という中国の儒教を取りまとめた文章がベースにあるようで、 それは何かということ、こんなことを言っていると。
七十を老という、伝う。
これを参考にしていた。70歳になったら後代に自分のやってきたこと、仕事のコツを伝えましょう、と言う事なんですね。それが転じて引退するということになったようです。
ちなみに礼記自体は、周から漢にかけての儒教の中でも礼に関する文書をまとめたものだそうで、 と言う事は漢が滅亡したのが西暦220年ですから、奈良時代よりも数百年はさかのぼることになりそうです。そんな時代の70歳ですから、今とはさらに感覚が違うはず。よっぽど長生きしちゃった場合は、くらいのことじゃないでしょうか。そう考えてみると確かに、私は三国志が大好きなのですが、三国志の武将で引退が描かれている人ってほとんどいません。
人生百年時代
さらに驚いたのですが、
百を期という、 頤う(やしなう)
とありまして、頤うとは養うのこと。 という事は
2000年前の概念では、70歳で公職を引退、100歳から年金受給、という事かも! うわあ。
人生100年時代、と言われますが、実は2000年前から人生は100年時代だった、と言えるのかもしれません。 あるいは、そう生きるべきという教え自体は、本当に本当の昔からあったのですね。 これは覚悟を決めて、100年生きるぞ、働き続けるぞと考えた方がよさそうです。
株式会社こころみ 代表取締役社長 神山晃男