聞き上手と免疫反応
2025.04.19

はじめに
私たちは日々、様々な人とコミュニケーションを取りながら生きています。円滑なコミュニケーションが望ましいのはもちろんですが、残念ながら時には相手の言葉が素直に受け入れられなかったり、意見の衝突が起こったりすることもあります。今回は、このようなコミュニケーションの摩擦を、人間の体が持つ「免疫反応」という仕組みになぞらえて考察してみたいと思います。免疫反応とは、私たちの体が外部からの異物(抗原)を認識し、排除しようとする防御システムです。この免疫反応の考え方をコミュニケーションに当てはめてみると、「聞き上手」なコミュニケーションが、まるで免疫反応を穏やかにするように、相手との間に信頼関係を築き、スムーズな情報の伝達や理解を促せるのではないかというアイディアが生まれます。
免疫反応と聞き上手
私たちの体は、自己と非自己を厳密に区別する能力を持っています。体内に侵入してきた細菌やウイルスなどの非自己に対しては、免疫細胞が攻撃を仕掛け、排除しようとします。これは、私たちを守るために非常に重要な仕組みです。
さて、この「自己」と「非自己」の区別を、コミュニケーションに置き換えてみましょう。ここでは、「自己」は自分自身、「非自己」は自分とは異なる意見を持つ他人と考えてみます。
他人の意見が自分と違っているとき、私たちは無意識のうちにそれを“異物”のように感じてしまい、反論したり否定したくなったりすることがあります。これは、まるで体が異物に対して免疫反応を起こすように、心が「拒絶反応」を示しているとも言えるでしょう。たとえば、誰かからアドバイスを受けたとき、それが自分の考えと違っていたら、たとえその人が良かれと思って言ってくれていても、すんなり受け入れられなかったという経験はないでしょうか。一方で、耳の痛い意見や自分にとって受け入れがたい意見でも、それが信頼できる人の言葉であったり、ひとしきり話を聞いてくれた後のアドバイスであれば聞き入れられたということはありませんか?
大切になるのが、「聞き上手」なコミュニケーションです。株式会社こころみが提唱している「ディープリスニング」は、ただ話を聞くだけではなく、話し手に関心を持ち、共感しながら、相手の意図をくみ取り、話を引き出し、整理することで、話し手自身やその周囲の人たちの理解を深めていく技術です。
聞き上手な人は、相手の言葉に丁寧に耳を傾け、相手の気持ちや背景を理解しようとします。そうした姿勢は、「この人は自分のことをわかろうとしてくれている」という安心感を相手に与えます。その安心感が心理的な距離を縮め、まるで免疫反応が穏やかになるように、他人の意見も自然と受け入れやすくなるのではないでしょうか。
人の話の聞き方
免疫反応の視点から考えると、私たちが普段どのように人の話を聞いているかが、コミュニケーションの円滑さを大きく左右することがわかります。例えば、自分の意見を強く主張するばかりで、相手の話を全く聞こうとしない態度は、相手にとって自分の存在や意見が否定されているように感じられ、「非自己」としての認識を強めてしまう可能性があります。これは、強い免疫反応を引き起こし、コミュニケーションの断絶を生む原因になりかねません。
一方、聞き上手な人は、まず相手の話をじっくりと聞きます。 相槌を打ちながら、時には相手の言葉を繰り返したり、言い換えたりすることで、「私はあなたの話をちゃんと聞いていますよ」というメッセージを伝えます。 また、「どういう気持ちなのだろうか」と相手の感情に寄り添い、受け止めようと努めます。 このような態度は、相手の心理的な警戒心を解き、自己開示を促します。相手が安心して自分の考えや感情を話せるようになることで、聞き手はより深く相手を理解することができます。 この深い理解は、相手を「異物」としてではなく、「自分に近い存在」として認識することを助け、心理的な免疫反応を抑制する方向に働くのではないでしょうか。
アドバイスがなかなか受け入れられない状況を考えてみましょう。もしアドバイスをする側が、一方的に自分の正しさを主張し、相手の状況や気持ちを理解しようとしない場合、アドバイスは相手にとって「外部からの侵入者」のように感じられ、強い拒否反応を示すことがあります。しかし、もしアドバイスをする前に、相手の話を丁寧に聞き、共感を示し、信頼関係を築けていれば、相手はその人とアドバイスを「自分を助けてくれるもの」として受け入れやすくなるかもしれません。これは、聞き上手なコミュニケーションによって、相手の中でアドバイスをする人が「自己の一部」に近い存在として認識されることで、免疫反応が抑制された結果と言えるのではないでしょうか。
組織における展開可能性
この「聞き上手と免疫反応」のアナロジーは、個人のコミュニケーションだけでなく、組織におけるコミュニケーションにおいても重要な示唆を与えてくれます。
組織は、様々な価値観や意見を持つ人々の集まりです。 そのため、部署間やチーム間、あるいは上司と部下の間で、意見の対立や誤解が生じることは避けられません。もし、それぞれの立場が自分の意見や論理を強く主張するばかりで、相手の意見を「非自己」として排除しようとする力が働くと、組織全体の連携が滞り、目標達成の妨げになる可能性があります。組織において、聞き上手なコミュニケーションを積極的に取り入れることは、「心理的な免疫力」を高める上で非常に有効です。
例えば、会議の場において、参加者が互いの意見を尊重し、注意深く耳を傾ける姿勢を持つことで、建設的な議論が生まれやすくなります。 自分の意見がしっかりと聞いてもらえたという実感は、参加者の心理的安全性を高め、より自由な意見交換を促します。また、上司が部下の意見や報告を真摯に聞き、共感的な理解を示すことは、部下のエンゲージメントを高め、より積極的に業務に取り組む意欲を引き出すでしょう。 逆に、上司が一方的に指示をしたり、部下の意見を頭ごなしに否定したりするようなコミュニケーションは、部下の心理的な免疫反応を強め、本音を言えなくなったり、指示待ちの姿勢を生み出したりする可能性があります。組織全体として、「相手の意見をまずは受け止める」「多様な意見の中にこそ新たな発見がある」という共通認識を持つことが、免疫反応を穏やかにし、組織の活性化につながるのではないでしょうか。聞き上手なコミュニケーションは、組織内の「自己」と「他者」の境界線を曖昧にし、一体感を醸成する力を持つと言えるでしょう。
組織内部だけではありません。たとえば取引先とのコミュニケーションにおいては、大前提として「相手は他者である」という認識があります。しかし、丁寧なコミュニケーションによって取引先にとってこちら側が「自己」のように感じられれば、意見や提案に対して内容以前の拒絶反応や否定を示すことなく検討をしてもらえる可能性が高まることが期待できるのではないでしょうか。つまり、余計な警戒心を取り除き、ニュートラルな立場で提案を受け入れてもらいやすくなる。そんな効果が期待できそうです。
まとめ
本稿では、人間の体の免疫反応をアナロジーとして用いることで、聞き上手なコミュニケーションの重要性を考察してきました。相手の意見を「非自己」として拒絶するのではなく、共感と理解をもって接することで、心理的な免疫反応を穏やかにできるという考え方は、私たちがより円滑なコミュニケーションを築く上で重要なヒントを与えてくれます。
個人間のコミュニケーションはもちろんのこと、多様な意見が交錯する組織においても、聞き上手なコミュニケーションを意識し、実践していくことで、より協力的な関係性を築き、組織全体の力を高めることができるのではないでしょうか。
株式会社こころみ 代表取締役 神山晃男