縮退、コラプサー、聞き上手
2025.06.08

はじめに
「現代社会は、豊かになっているようで実は痩せ細っている──」。
物理学者・長沼伸一郎さんが提示する「縮退」と「コラプサー」という概念は、そんな現代の状況を鮮明に映し出します。巨大プラットフォームや金融マネーだけが膨張し、周縁が削げ落ちる状態を長沼さんは「縮退」、そこから抜け出せなくなったブラックホール的社会を「コラプサー」と呼びます。 株式会社こころみが大切にする価値観 「聞き上手」 は、この閉塞的な力学へ逆向きの風を吹き込む仕組みになりえると私たちは考えています。このブログでは、縮退・コラプサーという問題と聞き上手の実践を重ね合わせ、その可能性を探ります。
1.縮退・コラプサーとは何か?
長沼さんは、現代の資本主義が抱える問題を表すために「縮退」という概念を導入しました。
縮退の定義と具体例
「縮退」とは、生態系の分野では、「少数の種だけが異常に繁殖してほかの多数の弱小種を駆逐し、種の寡占化が進んでいる状態」を意味します。経済学に当てはめると、「経済全体としては成長しているが、非常に小さなサイクルの中で回る質の低い経済となる」問題といえます。GAFAMに代表されるグローバル企業によって、世の中の経済が発展し生活が便利になっている一方で、地元の商店街がシャッター街化し、経済の多様性が失われている状態、と言えるでしょう。
質的な縮退と人間の願望
19世紀から始まった資本主義の暴走は、石油消費に象徴されるような資源の消費を伴う「量的な拡大」でした。しかし、現在の資本主義は、資源の枯渇ではなく、むしろ人間の「願望」の変化によって富を生み出していると長沼さんは指摘します。この変化とは、長期的願望から短期的願望への変化だと言えます。例えば、健康(長期的願望)とタバコを吸いたい(短期的欲望)の関係で言えば、短期的な欲望が長期的な願望を容易に駆逐してしまうように、現代経済は短期的欲望の充足にひたすら注力しています。そして事態はより深刻な方向、すなわち「短期的欲望が極大化して、進むことも退くこともできなくなり、回復手段を失ったまま半永久的にそれが続く」状態へと進んでいます。
コラプサー化
長沼さんはこの状態を「コラプサー」と呼んでいます。この言葉は、実はブラックホールの古い呼び名で、「短期的願望が極大化し、進むことも退くこともできず、半永久的に閉じ込められた状態」を示します。「縮退によるコラプサー化」は、現代社会の行き詰まりを表現するのに非常に強力な概念であり、長沼さんは「人類の歴史そのものが止まってしまう」ことを懸念しています。 これらの概念やそこから展開される論説の発展がとても興味深いので、ぜひ長沼さんの著作を読むことをお勧めします。
この縮退・コラプサー化という悲観的な未来に対応する手段としての聞き上手を考えたいと思います。
2.価値観としての聞き上手
私たちが「聞き上手」という言葉に込めるのは、「すべての人はかけがえのない価値を持つ」という根源的な世界観です。こころみが対話を設計するとき、まず行うのは肩書や立場にこだわらず、その人が元々備えている長所・能力が自然に立ち上がる“場”を用意すること。縮退が「中心だけが肥大し、周縁が干からびる現象」なら、聞き上手は多様な周縁にこそ価値を見出し、その価値を周囲に作用するものとしてはぐくむことにあると言えるでしょう。
単に個別の価値を「よきもの」として賞賛することは目的ではなく、その価値を認め、共有し、それを前提に改善していくことにこそ、こころみが目指す聞き上手があります。これが縮退に対応するミクロな観点での対応策であると私は考えます。
長沼さんは、単なる多様性は寡占化を進めるビッグプレイヤーの餌食になるだけで望ましくない場合もあることを指摘しています。こころみの行う事業では、個の持つ価値を最大限に発揮することで、普遍的に受け入れられる価値を作り上げることを目指しています。
3.呼吸口を増やす聞き上手
長沼さんの言うコラプサー社会の息苦しさは、突き詰めれば「余白のなさ」に帰着します。すべてが最適化され、既定路線が敷かれ、「想定外の発展可能性」が塞がれていく。長沼さんはこれを「呼吸口がふさがる」と表現します。経済の発展が究極のものとなり、一般人である我々にできることや、可能性がこれ以上ないという気分になるイメージです。想像力の余地がなくなるとも言えます。 聞き上手は、この密閉空間に小さな風穴を開け、呼吸口を確保する技術です。
「呼吸口」というと外部に開かれたものをイメージしますが、必ずしも外部である必要はありません。想定外の発展可能性を持つ、という観点からは既知のもの、社会でも成立可能です。 具体的には、聞き上手は、他者の価値観を認め、他者に真実が存在することを前提に理解を志向する手法です。つまり既知の存在に対しても、新たな価値をそこに見出し、肯定的に再発見を試みると言えます。「わかったつもり」「すでに知っているものとして切り捨てる」のではなく、すでに自分の知っている対象の内面の価値に気づく。 聞き上手は、社会の内部に潜む価値を掘り起こし、呼吸口を増やす実践なのです。
4.AIを使いこなすための聞き上手
縮退・コラプサー論が書かれたのは、AI 技術が現在ほど社会の隅々に入り込む以前でした。けれどもAI こそ縮退・コラプサーを加速させるリスクを孕んでいると直感します。 実際に、経済がAIによって究極的に発展し、「想定外の発展可能性」がなくなってしまうというイメージは、遠い世界のことではないように思えます。
ここで鍵になるのが、聞き上手的な“人間によるチューニング能力”です。AI が提示する答えを鵜呑みにするのではなく、
• 直感的・体験的な手触りで情報を吟味し、
• 「自分は何を大切にしたいか」という価値観に照らして受け入れ/拒否を判断し、
• 必要に応じて 新しい問いを立て直す。
このプロセスは、まさに聞き上手が対話の中で行う「受け止め → 咀嚼 → 再問いかけ」と同型です。さらに加えると、単純なテキスト処理ではAIは人間の能力を超えつつあり、人間がAIの回答を批評する際には、暗黙的/直感的な能力が求められます。聞き上手とは、共感的理解を用いて暗黙的/直感的に相手を理解することでもあります。つまり聞き上手は、AI との協働時代における人間側のコミュニケーションテクノロジーとして機能し、テクノロジーに呑み込まれず主体性を保つ羅針盤になり得るのです。
終わりに
これら3つの観点を通して見えてくるのは、「聞き上手」が単なるコミュニケーションスキルを超えた価値観・社会の呼吸法・AI 時代のガイドであるということ。縮退が進む世界でこそ、私たちは耳を澄ませ、余白を耕し、テクノロジーと肩を並べて歩むための感性を鍛えていきたいと思います。
株式会社こころみ 代表取締役 神山晃男