ずっと働くを考える その2 隠居

2019.10.29

江戸の暮らし

昔のことを考える

人生100年時代の「ずっと働く」を考える。 1回目は、現在の高齢者の定義である65歳が75歳になると社会保障上、どんなインパクトが出るのかを見てみました。

ずっと働く」を考える その1 社会保障と75歳

政府は明らかに、65歳以降も働くことを進めようとしていますし、 実際それが効果もあることも明らかです。 しかし、安心した老後、あくせく働いてきた結果の安心の年金生活、といった私たちの「権利」を奪うことが許されるのでしょうか。

というところで、そもそも、この安心の老後や年金生活というもの、つまり仕事を辞めて老後を趣味やのんびりと過ごすことが 人間社会に普遍的にあるものなのか、少し調べてみようと思いました。

今回は、言葉の意味と成り立ちから、古代~近現代の日本において加齢と労働がどのように位置づけられていたのか、Webなどで事例を探して見てみようと思います。

まずは、「隠居」から。隠居ってなんだったのか、考えてみたいと思います。

隠居を考える

昔からの、「年をとったら仕事から身をひいて・・・」というイメージで一番近いのは、隠居という言葉ではないでしょうか。 若隠居といえば、若いうちから一線を退いて悠悠自適、といった高等遊民的なイメージもありますし。 落語に出てくるご隠居さんとはっつぁん、いつもご隠居さんは暇そうにしていますよね。「隠居さんはいつもぶらぶらして、うまいもんを食って云々」とははっつぁんの落語のセリフです。(この辺は、個人的にファンでもある落語家の柳亭信楽さんに教えていただきました)

では多くの日本人が、歳をとったらあるタイミングで仕事をやめ、一日暇にしていたのでしょうか?武士、町民、農民とみてみたいと思います。

武士の隠居

実際隠居ってどういう意味か。こんな感じの様です。

 本来の意味は官職を退いて自宅に籠居すること。言葉は平安時代からあったが,戸主が生存中に家督,財産を相続人に譲渡することを隠居と称するのは室町時代に始り,鎌倉時代に法制上の問題となった。江戸時代の武士の隠居には願い出によるものと刑罰によるものとがあったが,前者には老衰 (70歳以上) と病気との2種の理由が認められた。明治民法においては,生きているうちに戸主権を家督相続人のために放棄する行為を隠居とし,戸主が満 60歳以上であること,および相続人をあらかじめ承認しておくことが規定されていた。こうした法律で規定されたような隠居とは別に,広く行われてきた隠居制による家族形態も一般的である。 

 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

もともと、隠居とは家督相続のことなんですね。今で言うなら社長交代と生前贈与というところでしょうか。

隠居した人物の例をあげると、実は織田信長もそうです。 織田信長は1576年(天正4年)に43歳で嫡子の信忠に家督を継ぎ、隠居した形をとっています。 天正4年というと、武田との長篠の闘いが終った2年後。 石山本願寺との和平は隠居後。本格的に毛利と争っていた時期でもありますし、ばりばり働いていたイメージですよね。

ですので、隠居と言うのはあくまで家督というポジションを子どもに早めに渡して家の存続を万全にすることであって、 働くのを辞めるということとは無関係だったようです。

町人の隠居

落語に出てくるご隠居さん、町人の隠居はどうだったか。 こんな資料が国土交通省のページにありました。

現代にいかす「江戸のライフスタイル」

 井原西鶴は、『日本永代蔵』で、「二十四、五歳までは親の指図を受け、その後は自分の才覚で稼ぎ、四十五歳まで一生困らないだけの身代を築き固め、それで遊び楽しむのが理想の生き方ときわまったものである」といっている。家督を譲り仕事の一線を退いたのち、彼らは地域の伝統をつなぐべきしつけ係としての大役を、楽しみのひとつとしてつとめてもいたのであろう。 

とあります。

45歳までに残りの人生の分の稼ぎをつくり(!)、あとは好きなことをやると。と言っても、何もしないというよりも、地域の顔役や、地方自治のようなことをしていたようです。

伊能忠敬は50歳で隠居してから、56歳から日本全国を行脚して16年かけて日本地図を作ったともありますね。 ですので、隠居というのは、責任あるポジションを後の世代に引き継いで、別の仕事をやる、早期退職のようなイメージを考えると良いのかもしれません。

そして当時は社会保障も年金もありませんから、その後の食い扶持を自分で用意もしていたわけで、余裕があればのんびり過ごすこともできたでしょうが、 そうでなければ働き続けるのが当たり前だったという事でしょう。

農民の隠居

農民の隠居についてはこんなHPがありました。畑中章宏さんという方が書いている、民俗学からの老いへのアプローチ。素敵です。

老いを追う 15 年寄の歴史

近世になると、家業を跡取りに譲ったのちは、自身のために悠々自適の生活を送りたいという「楽隠居」の夢が、農民にも広まっていった。そしてなかには、家長や主婦としての役割から解き放たれ、学問や趣味、物見遊山を楽しんだりした年寄りもいた。しかしそれは、資産のある家だけでかなえられることで、ほとんどの農民は年老いても、働けるかぎりは働いた。 

やっぱり働くのが当たり前だったのですね。

楽隠居

「楽隠居」という言葉があります。隠居して安楽に過ごすこと、という意味だそうで。 逆に言うと、隠居という意味だけでは、安楽ではないという事ですね。

楽隠居、楽に苦しむということわざがあるそうです。知りませんでした。 これはまさに今の定年退職後の生活のリスクを示す、とても今風の言葉だなあと思います。

隠居しても働く

ということで、どうやら隠居というのは本来、家督相続の意味であり、 多くの人たちは隠居後も別の仕事をしていたようです。

もちろん仕事を一切やめて好きに暮らす「楽隠居」の事例もあり、そうした暮らしへのあこがれもあったようですが、 逆にこれは一般的ではなかったからあこがれだったのでしょう。 つまり、少なくとも江戸時代まで、明治になって定年制というものが本格的に導入されるまでは、 人は働き続けるのが当たり前だったといえそうです。 しかもその働き方には、途中で仕事を変更することが組み込まれていた。

それって、実はセカンドキャリアが当たり前になる、人生100年時代のこれからに近いように思います。 ちょっとびっくりしました。 次回は定年ということばや老後といった言葉についても見てみたいと思います。

株式会社こころみ 代表取締役 神山晃男