絶対主義と相対主義と聞き上手 の続き

2023.10.08

前回、絶対主義と相対主義と聞き上手というテーマでブログを書きました。少し話が抽象的になりすぎたかな?と思ったので、今回は具体的な事例をもとに、私の考えを深堀したいと思います。

 

特に最近読んだイタリアの物理学者、カルロ・ロヴェッロの「科学とは何か」という本を読み、私が言いたかったことを説明してくれていました。彼が指摘している「科学的姿勢」は私が伝えたかった「正しい絶対主義」とほぼ同じです。それにしてもとても知的興奮を覚える本ですので、大変におすすめです。

 

自分にとって理解できない人がいたとき、どう対応すべきか

 

例えば、自分と相いれない主義主張を持っている人がいたとします。たとえば、Aさんはある特定の国の人々を好きではないと言います。

Aさんは自分のことを差別主義者とは思わないが、ただ〇〇国の連中だけは好きになれない。自分は実際に彼らを知っているからわかる。最近、自分の故郷の町に集団で暮らしているが、とにかくトラブルを起こす。他人に迷惑をかけることを何も考えていない。日本に来ているんだから遠慮して日本のやり方に合わせるべきだ。それに彼らは女性に対して一段低く見ているところがあって、そんな考え方も今の時代にあっていない。現代の日本で暮らすなら全面的に思想を改めてほしい。

こうした考えを持つ人に対してどう接し、その人をどうとられるべきか、少し考えてみたいと思います。

 

間違った絶対主義者


間違った絶対主義とは、簡単に言ってしまえば、「世の中に真理があると思っており、自分はその真理を理解している」と思っている人のことです。そこまで極端に自覚していなくても、「絶対に正しいことがある」と思っており、そこに疑いが生じないと考えている人。その人にとっては、他人の意見は自分と同じで正しいか、自分と違って間違っているかのいずれかになります。


間違った絶対主義者から見れば、
Aさんは間違った存在です。どんな事情があろうと、民族で人を差別することは許されない。そうした考えを持つことは誤りであり、Aさんの考えを修正すべきです。そこに議論の余地はありません。なぜなら人は生まれながらにして平等であり、等しく尊重されるべき存在だからです。あるいは、Aさんと同じ意見を持ち、〇〇国の出身者は考えを改めるべき、という考えで意気投合するのかもしれません。

 

間違った相対主義者

 

間違った相対主義者とは、簡単に言ってしまえば、「世の中に絶対正しいものはない。人それぞれの立場によって正しいものは異なる」と思っている人のことです。もちろん自分が特定の価値観を持っていることは認識したうえで、他人が持つ価値観を尊重すべきと考えています。

 

間違った相対主義者から見れば、Aさんの立場を尊重すべきとなります。自分は決して外国人差別をしたいともしてよいとも思いませんが、それはあくまで自分の価値観であり、他人にそれを強制すべきとは思いません。Aさんがそう思うのであれば、それを極力尊重すべき、というのが基本的な考え方になります。

 

理想の接し方

 

こうした違いを乗り越えて、私は「正しい絶対主義者」でありたいと考えています。それは「世の中には、全人類が共有できる正しいこと・普遍的な価値はある。それに照らして具体的な事象の善悪を決めることが人類にはできるはず。ただし、それは不確かで常に更新されるし、私自身がそれを現時点で理解しているわけではない。だからいろいろな人の考えを聞いて、正しい価値観にたどり着く努力を惜しんではならない」。

 

この立場からすれば、Aさんの発言はまずいったんは受け入れられないものとして映ります。私が正しいと信じる平等の精神に反するからです。ただしそこで思考を止めません。「なぜAさんはそのような考え方に至ったのか?」を理屈としても心情としても知ろうとします。仮にAさんが過去にその国の人に手ひどい仕打ちを受けていたことがあれば、当然それはAさんの思想に影響を与えているでしょう。あるいは閑雅をより深く聞く。それらを踏まえて、Aさんにとっても自分にとっても納得できる「正しさ」は何かを考える。常に自分の正義を持ちつつ、相手の正義を理解しようとすべきであると考えます。さらに考えると、Aさん自身は女性を不当に差別することに反対しています。Aさんは本質的には自分と等しく、平等を重んじる精神を持っているのでしょう。そうした点を見つけることで、Aさんと自分に共通する「正しさ」を認識することも、目指すべき点となります。

 

最終的にどのようにAさんと接するべきか・この問題にどのように答えるべきかはここでは分かりません。重要なことはAさんの考えを心情も含めて理解しようとし、そのうえで自分の考えを変えることを恐れずに正しい答えを導こうとする姿勢を持つことです。

 

正しい相対主義者

 

「正しい相対主義者」は、言葉の違いだけであり、正しい絶対主義者と同じ結論になると考えます。相対主義者として他人の考えを尊重し、理解しようとしていけば、おのずと共通の理解に到達するのではないかと考えられるからです。私があえて「絶対主義」を強調するのは、入口の段階で共有できる価値を目指すことを宣言するためです。

 

常に意識したいこと

上記のような考えを持ち続けることは難しいです。難しいですが、こんなことを意識できたらよいなと思います。

 

「自分が正しくない」と「正しいことが存在する」は矛盾しない

 

自分が間違っている可能性があるからと言って、世の中に真実が存在しないわけではありません。自分は間違う可能性が常にあるからこそ、他人に学び、自分の考えを常に更新する必要があります。しかしそれは、いろいろな考えを聞いて、それも面白いに留まるものではありません。どこかにある正しさを求めることでより納得感のある生き方を得られると考えます。

 

自分も間違うことがあるが、他人も間違うことがある

 

自分が間違っている可能性があるからと言って、常に他人が正しいわけではありません。例えば一方的な暴力は絶対に許されるものでななく、そうした暴力を肯定する考えに対しては、私は間違いだと断罪します。そこには悩みも遠慮もありません。ただし、それは現時点での私の考えであって、未来永劫その考えを否定しないことを約束するものではありません(否定せずにありたいものですが)

 

人には共有できる「価値」がある

 

「善」「正しさ」「正義」「倫理」、どれもしっくりきませんが、ありとあらゆる人間(自我と言葉のある生き物)には、共有可能な価値観があると考えます。その共有する範囲を少しでも広げる可能性がある技法が「聞き上手」だと確信し、私は聞き上手のスキルを磨いていきたいと考えています。

 

株式会社こころみ 代表取締役 神山晃男