聞くとは、変わること
2021.11.14
「よい聞く」、「聞き上手」とは何か、をいつも考えています。
今日はその要素として、「変わること、変わることを恐れないこと」を共有したいと思います。
「関心」「共感」「受容」
研修や社内でいわゆる傾聴の心構えとして共有しているのは、「関心」「共感」「受容」。
関心は、好奇心を持って相手に臨み、相手のことを深く知ろうとすること。
共感は、相手に寄り添い、同じ気持になるべく、気持ちを想像すること。
受容は、そんな気持ちを認め、その気持ちになっていいと思う、というメッセージを発すること。
こうした心持ちがなければ、いかにテクニックがあろうと、それは小手先で表面上のやりとりに過ぎず、すぐに相手に見破られてしまいます。それで信頼関係を構築したり、相手の自己肯定感を高めることなど、できるはずもありません。もちろん常日頃からこうした心構えで人の話を聞くことは体力的にも、状況的にも極めて難しい。だからこそ、人の話を聞くことはここぞというときに、全神経を集中して取り組むべきものだとも考えています。
さて、そうした心構えを持つことは重要ですが、そういわれて次の日からできるようにはなりませんよね。たとえばスポーツの試合で心構えや作戦は大事ですが、それだけでは足りません。作戦を実行するためには、基礎体力が必要です。
では、聞くための基礎体力、関心や共感や受容するための基礎体力とは何か?それは、変わることを恐れないこと、です。さらに言うと、よく聞こうとすると、自らを変化させるを得ないから、それを恐れてはいけない、その恐怖に打ち勝つことが基礎体力になるわけです。
よく聞くと、人間は変化から避けられない
改めて「よく聞く」「聞き上手」とは何かを考えてみましょう。話し手から見たときに、自分の話を真剣に、精一杯聞いてくれることが求められます。自分の感情、考え方、経験などを自分と同じように感じて受け止めてほしい。なお、ここで「考え方、感情、経験など」をひとくくりにして話しますが、それは、それらが人の中では一体となって形作られており、どれか一つだけ切り出すことができるものではないと考えるからです。
自分の考え方を、可能であれば自分と同じように聞き手に理解してもらい、受け止めてほしい。しかし、当たり前ですが同じ経験、考え方の人間はいません。完全に同じ経験、同じ考え方をしている人とは、見た目も同じだったはずですし(外見で何かを言われる経験がある)、身体能力も同じだった(スポーツでまったく同じ活躍をしている)でしょうから、それは自分自身以外、世の中に存在しません。人間は、自分と違う存在に自分と同じ経験や考えをしてほしいと思って、話をするわけです。
また聞き手に戻って、その前提で「よく聞く」を考えると、それには相手の経験や考え方を理解しようとする姿勢が必要となりますが、それは必ず今までの自分とは違う経験であり、考え方であるということになります。今まで経験していないことを相手の話から自分の経験のように受け止め、その感情を共有し、その考えをなぞる。そしてそういった感情の流れを受け止め、それでよいと思う。これこそが関心であり、共感であり、受容です。もちろんそれはその瞬間の話であって、ある人の話を聞いたら次の日からその人と同じ考え方になるわけではない。ただ、「そういう考え方や感情もあり」という思いは残ります。
例えば、万引き犯の話を聞いたとしましょう。もちろん万引きという行為を是認することはありませんが、その人が万引きをするに至る道筋で経験してきたこと、その時の思い、そしてやむにやまれず万引きをしてしまったことに対する認識・・・それらを聞いて、自分の感情のように受け止めて聞く。そこには、そういう人生を送ることに対する肯定が必ず求められます。それがあるから、話し手は相手を信頼できるし、それによって自己肯定感を得ることができるわけです。そうした思考形態を聞き手がたどる以上、次の日から、「万引きはいけない、以上」とはなりません。必ずそこに、「万引きにも一理はある(行為としては許されない)」という立場が付随するはずです。それによって、聞き手は今までと同じような形での正義のありようを保持することはできなくなるでしょう。
万引きのような善悪に関する物事だけではありません。お金に対する価値観でも、好きな人間のタイプでも、仕事観でもなんでもそうです。自らの今までの認識に何らかの変化を起こさずに、自分と違う人の話をよく聞くことはできません。場合によっては、それまで自分が大切だと信じていたものに疑問がついてしまう、そんな可能性だってあり得るのです。そしてそれは、誰と話をするときにも可能性として存在します。
センゲのメンタルモデル
「学習する組織」の著者であるピーター・センゲが提唱するメンタルモデルでは、「認知の4点セット」という概念を用いています。それは、人の認知構造が、経験、感情、価値観に裏打ちされた意見として表出されている、という枠組みです。人の感情を理解し、受け止めるためには、経験、価値観を共有しなければ難しいということの裏返しでもあると思います。
認知の4点セットにおいては、ある経験がもととなって感情が生まれ、その感情の蓄積が人の価値観を形作る。結果、何かに対する意見が生まれてくる、というものです。その考え方に照らして考えればある人の意見を本当に理解しようとすれば、経験のレベルにまで深く入り込んで理解することが必要であると言えます。それこそが聞き上手です。経験とあわせて感情と価値観を受け止めることが必要、ということが腑に落ちるのではないでしょうか。
変わることは怖い。ではどうすれば?
さて、前回ブログで成長することは恐ろしいと書きましたが、ここで成長をそのまま変化に置き換えても、結論は変わりません。人間が今まで自分を形作ってきたものを、少なからず捨てることになるわけですから、変化は本質的に恐怖です。できることであれば、ずっと変わらずにいたい、今の状態を維持したい、というのが人間の本質です。
人の話を聞くことで、今までの自分が正しいと思っていた価値観が崩れてしまうかもしれない。経験は変わらないかもしれませんが、その時自分がもった感情以外にも、持ち得る感情はあったかもしれない。あるいは、自分が経験したと思っている事実でさえ、自分の感情や価値観から逆算された経験なのかもしれない・・・
人の話を「よく聞く」「聞き上手」は、常にそのように、意図せず自分を変化させてしまうリスクを抱えている。そのリスクを抱えていなければ、聞き上手とは言えないわけです。
これは例えが適切か難しいところですが、例えばお釈迦様やキリストのような方、世の中のすべての考えや経験を持っているような方に、話し手は話をしたいのか。私は、必ずしもそうではないし、そうでない場合の方が今の世の中で求められる聞き手の多数ではないかと考えています。ある得ての悩みをもっていて解決に導いてほしい、自分を「正しく」導いてほしい、等の欲求があればお釈迦様に聞きたいことがあるかもしれませんが、それは、聞きたいこと、教えてほしいことであって、話したいことではないのではないか?人が話をする際に聞き手に求めるのは、必ずしもそうした全知全能の持ち主ではなく、むしろ聞き手自身の中身を変容してでも、自分の立場によりそってくれる人なのではないか。そう考えます。
いずれにしても、人が人の話を聞く際に、それくらい自らを投げ出して、変化してもいいと思って聞くことが求められるわけです。では、そんな恐怖に打ち勝って人の話を聞くためにはどうすればよいのでしょうか?
それは、自己肯定感です。
聞くことについて考えると、いつも話は自己肯定感に戻りますが、今回も同様です。変化を恐れないためには、今の自分が満たされているからこそ、変化をしてもよいのだ、と信じられることが必要となります。変化し続ける自分を肯定すること、自分がどれだけ変化しても自分そのものの価値は揺らがないこと、そう信じられなければ、恐怖に心を奪われ、それ以上人の話を聞くことはできなくなるでしょう。
前段で申した「関心」「共感」「受容」をするために必要な基礎体力、それこそが自己肯定感であると考えます。
自己肯定感の連鎖を作る
そしてさらに繰り返しになりますが、自己肯定感を作るために最も有用なのが、人に話を聞いてもらうことです。聞くためには自己肯定感が必要な一方で、人に話を聞いてもらうことで自己肯定感を高めることができます。
ただし、それはただ漫然と話し、聞けばよいわけではありません。聞き手が適切な意識を持ち、適切な技術を用いることが必要です。話し手はそれに対して認識し、自分が聞き手になったときにそれを他人に広げていく意識がなければなりません。
簡単なことではありませんが、それがいったん回り始めれば、聞き上手が聞き上手を生む連鎖を作ることができるはずです。私たちが目指しているのは、そんな連鎖が生まれる社会であり、そのための最初の火種を、いろいろな場所に提供していければ、と考えています。
株式会社こころみ 代表取締役社長 神山晃男