戦争について語る方が減っている ~終戦記念日を迎えて思うこと~

2019.08.15

終戦記念日の灯篭流し

今年も終戦記念日を迎えました。

2016年 自分史で変わる戦争体験 

2017年 終戦日のイメージ

2018年 戦争は終戦日には終わらない 

3年続けて、8月15日にブログを書かせていただきました。 さて、今年は・・・と考えて気づいたことがあります。

自分史と戦争

明らかに、終戦記念日というものに対する情報量が減っている。

この4年間で、メディアによる第二次世界大戦の取り上げられ方や、終戦記念日の振り返りが明らかに減っていると感じます。 これは肌感覚ですが、もっと以前、たとえば10年前と15年前の比較よりも、5年前と今年の方が、はるかに情報量の変化がある、そう思います。

それはメディアの飽きや嗜好もあるのかもしれませんが、やはり戦争体験者が、本格的に年をとってきたことにあるように感じます。

それは、親の雑誌の取材対象者のお話を伺っていても感じます。戦争について語る方が減っている。

たとえば80歳の方。親の雑誌発売当初の80歳の方は、戦争当時10歳でした。 玉音放送のことや、兄の出征を見送ることなど、お話いただきます。 90歳の方であれば、当時20歳でした。自らが徴兵されていたり、 徴用されて軍隊について行ったり、という方が多くいらっしゃいました。

4年経って、80歳の方は6歳。記憶はほとんどが終戦後になります。 90歳の方でも16歳ですから、戦争の場所そのものを体験した方は少ない。

そんなわけで、以前ほど強烈な戦争体験を聞く機会、割合が減ってきたかな?と感じています。

親の雑誌を始めた当初、 「早く戦争体験をお聞きしておかなければ、もう声を残すことができなくなってしまう」 と思っていたことが、徐々に現実になってきていると言えるのかもしれません。

自分史で戦争体験を聞く意味

それでも、今お話ができる方が戦争体験や、戦後の暮らしぶりについて語ることにはものすごく意味があると思います。 間接的でも、出征したお父様の思い出や、近所のお話だけでも。 今お話できる方のお話も、数年後には聞くことができなくなってしまう。 6歳の時の戦争体験でも、ものすごく貴重な体験なことに違いはない。

もう一つ、昨年も書きましたが、戦争は終戦記念日をもって終わるわけではない。 戦後という長い長い苦しみもまた、戦争の大きな一部分です。

だからこそ、戦後という時代をきっちりと見てきた方のお話を残しておくことに、大きな意義があると感じています。 その意味では、74歳よりも若い方のお話をきちんと残しておくことこそ、実は大事なのかもしれません。

令和に代わって、昭和が一つ前の時代になったことで、 第二次世界大戦は本当に歴史の一つになりつつあると感じます。 それでも、それだからこそ、戦争というものの雰囲気や影響を語れる方が、それを形に残しておく。 その意味は途方もなく大きい。 改めてそう感じています。

株式会社こころみ 代表取締役 神山晃男

こころみ代表取締役 神山晃男