英語のリスニングと聞き上手

2022.05.29

知人から、面白い本を紹介していただきました。
 
 
 
理想のリスニング 「人間的モヤモヤ」を聞き取る英語の世界 阿部公彦 東京大学出版会
 
 
英語学習においてリスニングに特化し、その熟達方法を説く本です。
あくまで英語のリスニング力を高めるための教本ではあるのですが、半分程度を「理論編」として、外国語を聞くとはどういうことか、外国語を聞く能力を高めるにはどうすればよいのかを丁寧かつ斬新な発想で解説しています。
 
英語/外国語を聞くということのみならず、そもそも「聞く」とはどういうことかに関する示唆が多く含まれており、大変面白く、また参考になりました。今回はその中身をいくつか抜粋して紹介し、日本語話者が日本語話者の話を上手に聞くことについても考察させていただきたいと思います。
 

「聞く」 vs  「読む」「書く」「話す」

英語学習においては一般的に、四技能として聞く、読む、書く、話すの4つを並列に扱い、それぞれの能力を伸ばすことを推奨していますが、筆者はこの4つの中で聞くだけが特殊だ、と説きます。
 
——-
そこで注目したいのが「聞く」ことの特殊性なのです。たとえば「読む」「書く」「話す」は圧倒的に「する」ことです。うまくいくかどうかは別として、この三つはある程度自分で「よし、やるぞ」と意識的にコントロールして行うことができる。意志の力によって、始めたり終わったりすることができる。そういう意味では、「読む」「書く」「話す」は「行為らしさ」が強いのです。これらに取り組んでいるとき、私たちはより主体らしく振舞っている。
これに対し「聞く」はちょっと違います。「耳に入ってくる」という言い方からも分かるように、「聞く」はコントロールが難しいのです。耳はスイッチオンやオフが簡単ではない。聞きたくないときも、文字通りに耳をふさぐことはできない。耳栓をしたり、その場から立ち退いたりという物理的な手段に訴えるしかないのです。
自分から能動的に聞こうとするときにも、できることは限られています。聞くことはもともと受動性が強いので、「えい!」と集中して聞こうとしても、いつの間に聞くのを辞めてしまっていたり、あるいは聞くつもりのない他のことに耳がいってしまったりする。なかなか思い通りにいかない。
——
 
 
聞くことが本質的に持つ受け身性を上手に説明されていると思います。日本語で人の話を聞くことがなぜ難しいのかについての説明として読んでも、まったく違和感がありません。能動的になりにくいがゆえに、集中力を切らさないことが難しい。相手任せにするが故にほかの行為と本質的に異なる、ということがきれいに説明されています。

 

「過剰さ」を聞く

人は、合理的なコミュニケーションを行えるわけではなく、関係がない話をしたり、あいまいに話をしてしまったり、伝わっているのにさらに強調したりといった「過剰さ」が生まれると説きます。この過剰さは、人間の欲望に裏付けられている。だからこそ、この過剰さを受け止めることが聞くうえで重要となります。そこから続けて、英語という言語は、過剰さを強調(ストレス・アクセント)を用いて表現する言語であるがゆえに、その聞き方を習熟するという話につながっていきます。
 
日本語において、日本語話者は訓練をしなくてもこの過剰さを理解できるわけですが、それをさらに意識的に行うことで、「聞き上手」の領域に入ることができる。そんな風にとらえました。話者が「なんとなく」過剰に話す部分に、話者の感情や思考の特徴的なポイントがある。そう思って聞くことで、話の内容そのものだけでなく、話し方からも情報を得ることができるようになると言えるのではないでしょうか。例えばたびたび繰り返す単語や表現、ため息をつく前後の文脈、声が高くなる文はどれか、そんなことを意識的に聞けるようになり、それを受け止めることで、より話者の気持ちに近づいていくことができるのではないか。
 
ただし、あまりに分析的に聞いてしまうと、逆に共感することが難しくなります。注意を払いつつも、意識しすぎず、言語化したりレッテルを貼らないように注意する。そんな聞き方が理想だと思います。「この人は上司を嫌っているのだ」と明確に言語化して聞いてしまうと、他の話も上司が嫌いだという文脈で聞いてしまう。実際には、人が人にもつ感情は単に嫌いというだけではなく、尊敬や畏怖、あこがれなど様々なものを複合的に持っています。そうしたものも共感する余地を残しながら聞くことが重要であると考えます。

 

身体・空間で聞く

「単語は体の一部」という章で、ダイクシスという言葉についての説明があります。人や時、場所などを示す代名詞や副詞で、英語では I, you, he, now, then, here, there, this, thatなど。こうした語はよく使われるが、用法が意外と難しい。なぜなら、「自分の身体をどう感じ、把握するか」が出発点にあり、言語が異なるとこの感覚も異なってくるから、ずれが生じるのです。例えば英語のthere とhereは日本語の「そこ」と「ここ」と訳しますが、対象となる範囲が異なる。thereにはほら、さあといった意味や、「存在する」というニュアンスも含まれる。そうして考えると、実は法律用語やビジネス文章はそのまま翻訳しやすいが、むしろ日常で使う「あのビルの裏からちょっと入ったところにあるパブ」とか「こことここを折り曲げて差し込んでピンを入れる」みたいな言葉を外国語でしゃべったり聞いたりする方が難しい。
 
なるほどな、と思いました。うなづける方も多いのではないでしょうか。
 
一方で、このダイクシスの範囲や違いという考え方は、実は同じ言語を使う人同士の間でも重要なのではないか、とも思いました。「私」が示す範囲や、「ここ」「今まで」といった言葉の示す範囲は、人によって微妙に異なります。その示している範囲がどこまでなのかを想像しながら聞けると、それまでよりもその人の脳の中のイメージに近づけるのではないかと思います。
 

「人間を聞く」

最終章で筆者は、言葉は言葉で完結するものではなく、必ずそれを使う「人間」というファクターが絡んでくると説きます。だからこそ、リスニングにおいては、人間的なコンテクスト、さらにいうと「人間を聞く」ことが重要である。具体的には、相手の意図やシグナルを読む、強調したい点をとらえる、逆に触れてほしくない点は深入りしない、場合によってはたくらみを見抜く、等。また特に情緒や態度といった要素にも注目しています。そして今までの英語学習が、効率的な情報交換のモデルに偏っており、人間的コンテクストを聞くことに重きが置かれていなかった、と主張されています。
 
私はこの点は、日本語同士のビジネス一般においても同様なのではないかと感じました。情緒や態度を受け取ることを重視せず、会話コンテンツそのものの受け渡しだけを重視することを良しとすることが当然とされてきたのではないか。明示的にされた情報だけのやり取りですべてがうまく伝わる前提で話が進められてしまう。
 
筆者はそこから、会話において話者同士の間で、コンテクストの設定と、誤差の修正をしながら会話することの重要性を説きます。これもまさに母国語同士の会話において最も重要であり、今あまりにも無視されている要素なのではないか。そんな風に思います。
 
本書では英語の例文を音声付きで紹介し、実際のテキストと発声によってどのように情報が加わっているのか、丁寧に解説されています。日本語においても同様の分析を行うと、かなりの情報がテキストに落ちていない要素としてあることに気づくのではないかと思いました。
 

まとめ

このように、英語学習でありながら、人間のコミュニケーションに対する態度、そこから聞くという行為の持つ意味と具体的な聞き方までつなげて解説されている本書は、非常に説得力のある、また考えさせられる本でした。改めて、このような深さと鋭さをもって、聞くということについての思索を続けていくことの重要性を感じた次第です。
 
株式会社こころみ 代表取締役 神山晃男