「きく」という単語について考える
2021.10.23
こころみという会社は「聞き上手」をコア技術として、企業向けにインタビューを起点とした事業変革支援を行ったり、自分史作成サービスを展開していますが、いつも、聞くことについて書くときに、「聞く」と書くべきか、「聴く」と書くべきか迷います。
そこで今回は、改めて日本語の「きく」という言葉の意味と、漢字の聞くや聴く、それから英語のlistenやhearとの関係について考えてみました。
言葉が示すもの
まず大前提として、いろいろな言語が示す中身は、必ずしも同じでもないし明確でもないという前提があると考えています。日本語の「きく」と漢字の、つまり昔の中国における聞と聴は意味が重なる部分と重ならない部分がありますし、同じことは英語のlistenとhearについても言えます。フランス語でもスペイン語でも、スワヒリ語でもタガログ語でも状況は同じでしょう。
また日本語の「きく」にしても時代によって変遷がありますし、使う人の頭の中によっても違うでしょう。そもそも言語を定義するのに使えるのが言語なのだから、その枠組みは常にあいまいにならざるを得ない。ただ、だからといってそれで考えるのを辞めてしまうにはもったいないので、その前提でありつつ、考えてみたいと思います。
きくの意味
あらためて「きく」を国語辞典で調べてみました。
明鏡国語辞典のWebから引いてみると、
き・く【聞く・聴く】〘他五〙
❶ 〖聞・聴〗音・声を耳で感じとる。「さっき階下で物音を聞いた」「音楽を聞きながら眠る」「どうか私の話を聞いて下さい」「ラジオでニュース[音楽]を聴く」「為政者は国民の声を聴かねばならない」表記「聞」は広く一般に使う。「聴」は注意深く耳を傾ける意で使われるが、謹聴するようすが明らかな場合(耳を澄まして聞く・いいか、よく聞け)や、使役の場合(御意見をお聞かせ下さい)などでは、むしろ「聞」が一般的。❷ 〖聞〗話を情報として受け取る。「昨日の会合で花子の噂を━・いた」「話には━・いていたが、見るのは初めてだ」「━ところによると入院されていたとか…」❸ 〖聞〗相手の言うことを受け入れる。聞き入れる。「私の頼みを━・いてくれ」「主治医の意見をよく━・いて療養に努めて下さい」「要求[訴え・警告]を━」「親の言いつけをよく━子だ」❹ 〖聞・聴〗質問する。尋ねる。問う。「駅へ行く道を聞く」「本人に聞いてみないことには分からない」表記問いただす意では「▼訊く」とも。特に、「訊問じんもん」をふまえて「犯行の動機を訊く」などと使われる。「聴く」は「事情聴取」をふまえて「警察が事情を聴く」などと使う。表現「手紙[メール]で聞く」のように、音声によらない場合にもいう。❺ 〖聞〗においをかぐ。また、においのよしあしなどを感じとる。「香を━」❻ 〖聞〗酒のよしあしなどを舌で感じとる。「酒を━」表記⑥は「利く」とも。◆「利く」と同語源。
とあります。
音・声を耳で感じ取る、情報として受け取る、相手の言うことを受け入れる、質問する、尋ねる。確かにどれも聞くという言葉で表現しますが、違う意味合いが幅広く入っています。面白いのは⑤のにおいをかぐや⑥の酒の良し悪しなどを感じること。確かに利き酒って言いますよね。耳を使わないことも「きく」に入っている。
そしてここでは聞くと聴くの違いにも触れられています。<表記「聞」は広く一般に使う。「聴」は注意深く耳を傾ける意で使われるが、謹聴するようすが明らかな場合(耳を澄まして聞く・いいか、よく聞け)や、使役の場合(御意見をお聞かせ下さい)などでは、むしろ「聞」が一般的。>とあり、確かに「傾聴」は注意深く耳を傾けることですよね。私たちもある人の話を関心をもってじっくり、共感や受容しながら聞くときには聴くを使います。
さて、漢字の語源は・・・とおもったら、こんな風にすごく素敵にまとめてくださっている記事がありました。
「聞」 神様の声をきく人
もともと、耳が「神の声をきく大きな耳を持つ人」の形なんですね。そこに発声のための門が加わった。もともと耳を澄まして注意深くきく意味が入っていたように思えます。聴は、「つまり「聴」は神のお告げを 理解 (りかい) できる 聡明 (そうめい) な人の「徳」のことを表した文字で、そこから「きく」意味になりました。」とのことで、単にきくだけでなくて、理解することが含まれていることになりますね。先ほど述べたように、傾聴する場合は共感・受容が大切ですから、まさにそこまでできて初めて「聴く」なのだと言えそうです。
英語のhear とlisten
英語ではどうでしょうか。
Oxford dictionaryで調べてみました。
hear
1.to be aware of sounds with your ears
2.to listen or pay attention to somebody/something
(以下略)
listen
1.[intransitive]to pay attention to somebody/something that you can hear
2.[intransitive] (informal) used to tell somebody to take notice of what you are going to say
3.[intransitive] to take notice of what somebody says to you so that you follow their advice or believe them
となっています。
hearが幅広く周りの音を聞いてそこから気づきを得る、listenがそれに基づいて特定の音に注意を向けて中身を理解する、という使い分けでしょうか。とはいえhearの2にあるように必ずしも厳密でもなさそうですが。大枠でいうとhearが聞に該当し、listenが聴を示すと言えそうです。ただ、理解するというところまでは踏み込んでいないので、その点を強調するためにactive listeningという言葉が作られたともいえそうです。
きくと聞、聴、hear、listen
そう考えると、「きく」は聞くと聴く、hearとlisten、それぞれの言語の両方の言葉を取り入れていると言えそうです。漢字の場合はさらに質問するという意味の訊くも入りますね。それだけ幅広いともいえそうですし、逆に日本人はきくことに関心が低いと言えるのかもしれません。なぜなら、一般的にある言語において特定の領域に関心が強い場合、その周辺の単語が増える傾向にあるからです。英語では雄鶏と雌鶏、生きている鶏と食べる鶏で名前が違います。日本語だとすべて「にわとり」。一方で稲と米、ごはんはすべてriceです。
日本語は人の話をきくようできいていない、私たちが目指す「聞き上手」から遠い言語であり、日本人は聞くのが下手なのでしょうか?
「きく」の持つ可能性
一時期、私は上記のような課題意識を持ち、「きく」には注意深く、相手のことを考えながらきくという概念が弱い、だからこそ「聴く」ことの重要性を訴えなければ、と考えていました。
しかしながら、最近になって必ずしもそうでもないのではないか?と思いなおしています。それは、「きく」は聞、聴、hear、listenが持たない意味を持っているということ。そしてそれらをひっくるめて「きく」とあえて一つの言葉にとどめることで、その幅広い活用方法を縦横無尽に使っているのではないか、ということです。
1つ目。耳を使う以外の感覚も含んでいる点。先にさらっと共有しましたが、「きく」にはにおいをかぐこと、味わうことも入っています。人間の五感でいうところの視覚と触覚以外の感覚を取り入れているということですね。音か音でないかに限らず、人間の持つ感覚を用いて、外の世界を感じ取ろうとする姿勢が、「きく」という言葉には入っているのではないかと考えました。
2つ目。「きく」には、自然の声を聴くことが入っている点。少し話が飛ぶように感じるかもしれませんが、日本人は虫の鳴き声を音として認識できる数少ない民族だという説があります。
なぜ日本人には虫の「声」が聞こえ、外国人には聞こえないのか?
正確には、日本人ではなく、「日本語を母語とする人」ですね。その日本語の使い手による「きく」には、自然の音や虫の声が人間の発する声と同じくくりの中に入っている。listenや聴くは、基本的に人間の声(または音楽)だけが対象です。それは言葉の意味というだけでなく、日本語以外の言語を使った、耳で音を拾う行為が、人間の作った音とそれ以外の音を分けるようにできているからともいえるかもしれません。言い直すと、きくという言葉には、人間の声だけでない自然の音も受け止める姿勢を含んでいるのではないか。
では、耳以外の感覚器で受け止めた情報や、人間の声以外のものをあえて区別せずに「きく」とひとくくりにしているのは、どういう意味があるのでしょうか?私は、日本語話者が、きく際にそうしたすべての感覚および付随する情報を使って、相手の持っている世界を受け止めようとする意思が含まれているのでないかと考えます。
傾聴/active listeningで重要視されるのは、相手の世界観をそのまま受け止めることです。合理的・論理的に切り分け、まとめ上げてしまうと、暗黙的・個別具体的な情報はそぎ落とされてしまい、本当に大事なものが何かを伝えることができない場合があります。だとすると、「きく」という言葉は、「相手の持つ世界観をそのまま受け止める」という、私たちが人の話を聞く理想形を、そもそも内包した動詞であると言えるのではないでしょうか。「きく」ことで、感情、経験、その人そのものを受け止め、自分の身の回りのこととして感覚としてとらえる。「きく」という言葉はそんな、日本語の持つ相手を尊重する姿勢が最初から含まれた、とても温かみのある言葉なのではないか。そんな風に考えられるようになりました。
きいてもいいし、聞いてもいいし聴いてもいい
ここで述べたことは、検証可能な説でもありませんし、日本人が聞くのが上手な理由を説明するものでも、明日からの具体的なアクションにつながるものでもありません。
それでもこの話を共有したいと思ったのは、「そう思ったほうが人の話をじっくり聞けるように、また五感のすべてを使ってきくことに近づけるのではないか」と考えるからです。「きく」の理想形を世界すべてを受け止めることとして、そのイメージを「きく」という言葉に持つ。そんなイメージの力をつかって、少しでも「きく」をパワーアップさせたいと考えています。
ちなみに、それでも私たちは「聞き上手」という書き方を基本にしようと考えています。それは、「きき上手」と書いてしまうと逆に違和感を覚えてしまう、とはいえ上述のように「聴き上手」としてしまうことで相手の話以外の感覚を受け止める姿勢が抜け落ちる要素が協調されることを避けたいからです。都度、「聞く」がよいのか、「聴く」がよいのかは、考えながら使い分ける必要がありそうです。
そして最後に。においや味の話は出たのに、視覚の話がでなかったことに疑問を覚えた方もいるのではないかと思います。この点については、日を改めて考えてみたいと思います。
株式会社こころみ 代表取締役社長 神山晃男