アリストテレス「弁論術」とディープリスニング
2021.07.04
アリストテレスの「弁論術」という書物の中で、説得の三原則が語られている。彼が主に対象としているのは弁論つまり多くの人の前で語ることではあるが、1対1のコミュニケーションにおいても有効であると思われる。特にディープリスニングで重視している信頼関係についての記述があるので、それとの関連性を考えてみたい。
ロゴスとパトスとエトス
弁論術の中で、アリストテレスは、人を説得する際の要素としてロゴス(論理)、パトス(共感)、エトス(信頼)を挙げている。
以下、少々長いが引用してみる。
だが、 弁論は判定を下すことを目標 に し ているのであるから(なぜなら、議会では様々な助言について判定するし、 法廷の判決も判定であるから)、 弁論家は、( 1)言論 に 注目して、それが 証明を与え、納得のゆくものとなるように配慮するだけでなく、( 2)自分自身を或る人柄の人物と見えるように、 そして 同時に、( 3) 判定者にも或る種の感情を抱かせるように 仕上げをしなければ ならない。なぜなら、論者が 或る人柄の人物に見えるということと、聴き手 に、論者は自分たちに対して或る種の感情を抱いている、と理解させることとは、それに加えて、聴き手 自身もうまく或 る種の感情を抱くということにでもなれば、 それは説得を与える上 で、とりわけ 議会弁論においては、 それから法廷弁論においても、 大きな違いをもたらすからである。
戸塚 七郎. アリストテレス 弁論術 (岩波文庫) Kindle 版.
ここではロゴスを「言論」、パトスを「感情」、エトスを「人柄」と訳しているようだ。
ロゴス(Logos)とは、論理・理屈のこと。言葉そのものはかなり広い意味も含んでいて、万物の法則といった意味も含んでいるらしい。すなわち宇宙の真理に即した物事の道理であり、あるべき筋道、世の中に一つしかない正しい考え方といった意味合いを含んでいるのだろう。現代のわれわれがビジネスで使う言葉を考えれば、ロジカルシンキングであり、説得力のあるストーリー展開ということになるだろう。こうした観点を中心にコミュニケーションの中身が作られていることが必要なのは言うまでもない。アリストテレスの弁論術においても、最初はこの説明からスタートしている。
パトス(Pathos)とは、欲情・怒り・恐怖・喜び・憎しみ・哀(かな)しみなどの快楽や苦痛を伴う一時的な感情状態のこと。特にアリストテレスは、実体に伴う属性のことをpathosとも言っていたようだ。実体である人間に付随するもの、あるいは論絶における言論そのものに付随するもの、としても使っているように思う。弁論においては、ロゴスを伝える際に、合わせて聞き手の感情を動かすことで説得をする、という使い方をしているようだ。その意味で「共感」という訳語を付けるのは極端ではあるが正しいと思える。つまり話し手が意図する感情を聞き手に同じように持ってもらう、という意味だ。弁論とはそうあるべきだし、コミュニケーションにおいて感情を伝えるとは、常に共感を目的としているともいえるだろう。
エトス(Ethos)とは、信頼・人柄を指す。もともとは「いつもの場所」を意味し、転じて習慣・特性などを意味するようになったらしい。他に、「出発点・出現」または「特徴」を意味する。人間が行為の反復によって獲得する持続的な性格・習性という意味付けがあるので、その意味で一時的なものであるPathosとは対照的なものともいえそうだ。直接的には人柄が最も正確な訳に思えるが、弁論術においてはそれがそのまま話し手の信頼に結びつくものなので、信頼と言って差し支えないだろう。
ごくごく簡単にまとめてしまえば、
ロゴスとは伝える内容そのもの、パトスは伝える内容に付随する感情的な要素、エトスは話し手そのものの印象
といえるだろう。
そのうえで、コミュニケーション、特に話し手からの伝え方においては、
ロゴスを正しく伝える際にエトスを共感的に伝え、パトスを信頼できるものとすることで、ロゴスに対する賛同を得る
ことが、アリストテレスの目指す弁論術のありようだといえるのではないか。
こう見ると、非常に納得感のある分類といえるのではないだろうか。ロゴスだけに意識が向きがちな現代のビジネスシーンにおいて、学びが多い。
ディープリスニングとの関係
この概念は、弁論や多くの聴衆を前にして話す際だけでなく、1対1でのコミュニケーションにおいても非常に有用ではないだろうか。ディープリスニングは、この概念との相性が極めてよいといえる。
ディープリスニングにおいては、論理的理解と共感的理解が重要であると説く。
つまり、話し手のロゴスを理解すること(=論理的理解)と、話し手のエトスを理解すること(=共感的理解)を重視している。それが結果として、聞き手のパトス(=信頼関係の構築)に結びついているのである。ここでは、弁論術で用いているロゴス・エトス・パトスを、聞き手側に変換していることに留意されたい。聞き手が話し手のロゴスとエトスを正確に受け止めることで、聞き手のパトスを作り上げ、信頼関係を構築する。ディープリスニングとは、ロゴスとエトスを聞き手として用いることでパトスを話し手に伝える技術である、と言えるだろう。
さらに言えば、そこから信頼関係を得た聞き手が話し手に転じ、正しいロゴスとエトスを用いてコミュニケーションをとることで、目的を達成する。この「話し手としての」ロゴス・エトス・パトスは、弁論術と同じ用い方となる。
聞き手としてのロゴス=エトスがパトスにつながり、話し手となった際にロゴス=エトスを適切に用いてコミュニケーションをとる。
このようにみると、改めて信頼関係の構築がビジネスコミュニケーションにおいてもいかに重要かが浮かび上がってくる。また同時に、あるべきコミュニケーションは聞く方が最初にあるべきで、その方が結果として効果が出るともいえるだろう。ディープリスニングの重要性は、まさに「先に聞く」ことにあるとも言えるのだ。
この全体像を持つことで、一方的に聞くだけでも一方的に話すだけでもない、バランスのとれたビジネスコミュニケーションができるのではないだろうか。