民生委員という名の思考停止

2013.05.14

先日、民生委員の方にお話を伺って来ました。

東京近郊のいわゆるニュータウンにご在住の方です。

そこでは、だいたい250世帯、600人くらいを受け持っておられているそうですが、

Minsei

そのうち190世帯に高齢者が住まれており、うち50世帯は完全な独居/日中独居/高齢世帯との事です。

中でも15人程度が完全な独居の方で、そうした方を重点的に見守りされているとのことでした。

お話は、具体的な高齢者の置かれている状況を具体的に伺いました。

特に退職以降、介護以前の方については、なかなかお話を伺う機会を頂戴することが難しいので、

非常に貴重なお話を多く伺うことが出来ました。

そうした高齢者の方のお話もさることながら、民生委員というお仕事自体について伺った内容が、自分にとっては衝撃的でした。
民生委員というものがどんなお仕事をされているのか、厚生労働省のホームページに載っていますが、

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◆民生委員の職務について民生委員法第14条では次のように規定されています。

1.住民の生活状態を必要に応じ適切に把握しておくこと

2.生活に関する相談に応じ、助言その他の援助を行うこと

3.福祉サービスを適切に利用するために必要な情報の提供、その他の援助を行うこと

4.社会福祉事業者と密接に連携し、その事業又は活動を支援すること

5.福祉事務所その他の関係行政機関の業務に協力すること

6.その他、住民の福祉の増進を図るための活動を行うこと

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とのことで、大変な内容の役割が期待されていることが分かります。
それにしても、このホームページのQ&Aからして、「どのような活動」のあとに「どのような義務」と来ているのですから、
求められる役割の大きさと、その高度さ・難しさが偲ばれます。

この役割は完全な無償です。

手弁当で、600人からの「生活状態を適切に把握」し、

「助言その他の援助」「福祉サービスを利用するための情報の提供その他の援助」を行い、

しかもそれだけでは足りずに「福祉の増進を図るための活動」まで行なわなければなりません。
実際に、個別のご自宅を訪問したりされているとのことでしたが、大変な負担です。自ずから限界があるのは明らかです。

 

そもそも、訪問先に十分な理解があるわけではなく、協力的な態度をとってもらえるのは稀なようです。
「そんなものいらない」、「一人でやっていける」、基本、玄関先でお話するのが精一杯という状況とのこと。
もちろん直接それらの方から感謝されるわけでもありません。

しかも、行政側のサポートは充分とはいえません。充分に情報も与えられず、

例えば独居老人のご家族の方の連絡先を聞くことすらできない。

極めつけ、これは大変だと思ったのは、防災のお話でした。
防災委員も兼ねており、何かあった場合の安否確認も民生委員のお仕事になっているとのことでした。
特に完全な独居高齢者を15人程度受け持っておられ、しかも彼らが悉く、有事の際に近隣のお世話になることを拒んだそうです。
大震災の時には、民生委員の方がお一人お一人の安否を確認されたそうです。
民生委員の方だって被災されているわけで、自分の家族を守らなければならないのに、
加えて15人の安全を確保しろ、というのはあまりにも無理難題ではないでしょうか?
莫大な仕事、到達不能な目標設定、相手の拒絶、トップの無支援。世間の無理解・無関心・・・
私にはできません。
大体、無償で500人以上もの方の生活を見守ることなどが、できるわけがありません。
奉仕というよりも、犠牲だと思います。

しかしながら、国や自治体は民生委員を任命することで、

福祉の問題を解決したことにしてしまっていないでしょうか。

本来国が考えるべき問題を、個別の、個々人の方々に押し付けて、蓋をしているように感じます。

 

国が、問題解決を考えるのではなく、名目上の対策を打つことで思考停止している。
私はうかつにも、こうした問題を伺ったことはありませんでした。
まだまだ見えないところで、深刻な問題が多く転がっている。
そう感じます。
解決の糸口は、民間組織による能動的な活動しかないと思っています。
かつ、それを永続的なものにするためには、誰かの善意に頼らず、
十分な資金の裏付けのあるものにする必要があると考えています。