少子高齢化という言葉の違和感
2014.04.25
いまこの言葉を新聞や雑誌で見ない日はないですよね。
当社事業ももちろんこの言葉に関連しているのですが、実は少子高齢化という言葉にずっと違和感を抱いています。
こんな記事を読みました。
フランスの歴史人口学者エマニュエル・トッド氏に対するインタビュー記事です。
トッド氏は歴史上の国家の人口動態や年齢別の死亡率(例えば乳児死亡率)などから社会の安定性や盛衰を研究しており、
その観点から日本の問題を挙げています。
特に
「日本人は、出生率が問題であるという事実をかなり意識しているが、それが唯一の問題であることに気づいていない。」
という言い方で、出生率による人口維持・社会の活力の維持が国家自体の衰退に重大な影響を与えることを主張しています。
私はこの内容に深く共感しました。まさに日本の唯一の問題と認識することが必要でしょうし、
政治がこの問題に今よりも真剣に立ち向かうことを強く望みます。
ところで、この記事の中で「少子高齢化」という言葉は何度か出てくるのですが、
実はトッド氏自らが「少子高齢化」という言い方をしているのは1度だけで、それ以外はすべてインタビュアーの発言の中に出てくるだけです。
原文にあたれないので分かりませんが、おそらくトッド氏は「少子高齢化」という言葉を1度も使っていないのではないか。
彼は一貫して「少子化」「出生率の問題」という言い方をしています。
インタビュアーが「少子高齢化」についてどう思うか聞き、トッド氏が「少子化」の深刻さについて解説している。
編集者が「少子高齢化」という言葉を加えているではないかと思いました。
編集者が「少子高齢化」という言葉を加えているではないかと思いました。
この記事を読んで、ずっと抱いていた違和感を思い出しました。少子化は問題だが、高齢化は問題ではないのでは?
少子高齢化とはなにか。一般的には以下のように言われています。
少子高齢化とは、出生率の低下により子供の数が減ると同時に、平均寿命の伸びが原因で、人口全体に占める子供の割合が減り、65歳以上の高齢者の割合が高まることをいいます。 先進諸国共通の現象であります。
そして少子高齢化による問題点として3つが挙げられます。
1労働人口の減少による経済成長の低下
2非生産人口をささえるための社会保障費等の増加による負担増
3少子化に伴う教育・育児関連市場の縮小
こうして見ると、1と3は少子化だけによる問題です。
2の社会保障費の増加による負担増、確かにこれは少子化と高齢化が組み合わさることで問題が大きくなっていますね。
昔は4人で1人を支えていたのが、これからは1.5人で1人の親を支えないといけない、そういう話です。
しかし、この2だけを捉えて「高齢化」が問題だと言えるのでしょうか。
そもそも高齢化とは、問題ではなく目標だったのではないか?
多くの国民が長生きできる社会を目指し、平均寿命を戦後30年以上伸ばした今は、
「高齢化を達成できた」幸福な時代というべきではないでしょうか?
ありえないことですが、仮に今、60歳以上の国民を強制的に姥捨て山に捨ててしまい戦前のような平均寿命にしてしまえば、
社会保障の負担問題はほぼ解決するでしょう。
言うまでもないことですが、それが目指すべき像だとは到底思えません。
国民の平均寿命が伸びて高齢化が進むことはむしろ歓迎すべきことです。
長生きできる世の中になっているわけですから。
問題はそれに見合う形で増えるべき子どもの数が逆に減ってしまっていることに尽きます。
ですから、私はあえて、少子高齢化という言葉を使うことをやめて、今後は「少子化」という問題に焦点を絞ることを提案したい。
介護の財源や仕組みに関する問題は、個別の問題として議論すべきですが、
それと「少子高齢化」という名のもとに年をとることが社会悪であるかのような風潮に反対したい。
そのために、高齢化が問題であるかのような言い方をやめませんか。
「日本は年寄りが増えて社会が悪くなる」という言い方をやめましょう。
「日本は子どもが減って社会が悪くなる」なのです。