「ボランティアを活用した生活支援」の違和感

2013.07.30

本日の日経新聞に、「介護、自己負担引き上げ 「一律1割」見直しへ  社会保障国民会議、報告書に明記へ」というタイトルで、
社会保障国民会議の議論の内容が報道されていました。

記事内容全般は高齢者支援に関しては世代間の格差間をなくし持続可能な制度にするために、
現在の高齢者世代でも負担可能な方の負担を大きくするといった議論で、この方向性については然るべきと感じました。

ただ、この記事の、下記引用部分に違和感を覚えます。

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負担増とともに給付の絞り込みも書き込む。介護の必要性がもっとも低い約140万人の「要支援者」を、介護保険の給付対象から外すことを明記する見通しだ。
政府はボランティアなどを活用した市町村の生活支援事業へと段階的に移管する方向で調整する。

ーー

この「政府はボランティアなどを活用した市町村の生活支援事業へと段階的に移管する」です。

介護保険の給付総額を抑える必要があるのはよく分かるのですが、
それをボランティアに移管することでコストを抑えるというのはいかがなものでしょうか。

ボランティアはそもそも「自発的」というのが語源になっている通り、提供する方の意志があって始めて成立するものです。
市町村ごとにボランティアを組織するということは、市町村ごとのボランティアの集まり方次第で、提供されるサービスが決まるということです。
高齢者の生活を支える根幹のサービスが、市町村ごとに大きく異り、しかもその時その時の状況で大きく変わってしまう恐れはないでしょうか?

民生委員の実体について以前ブログを書かせて頂きましたが、同様の事態が起きることを懸念します。
いや、すでに民生委員の活動について起きていることの、対象範囲を広げるだけの結果にならないでしょうか?

同じ人間による活動である以上、ボランティアもNPO団体も公的機関や営利団体の活動以上の効率性で何かを行えることはありません。
ただ誰かの善意におもねることで、本来支払うべき金銭的価値を誰かに負担させているだけです。(ボランティアの場合は活動従事者に給与を払わない)
その負担に強制力がない以上は、全国で永続的にサービスを提供できる保障がどこにもありません。

ボランティアはあくまで不要不急のサービス、「あったらいいな」の提供を期待するものにとどめ、
政府としては必要なサービスは国で用意するか、適切なサービスを公的資金を使って営利団体(あるいは医療法人等)を援助する形で提供する必要があります。
逆にボランティアを推奨したり一部支援することで、不公平な競争環境の元で営利団体などが参入できなくなり、
消費者にとって必要なサービスがお金を払っても得られなくなる可能性すらあります。

あくまで社会保障国民会議の議論であり結論もでておりませんし政府がこれをそのまま採用しないかもしれませんが、
「地域包括ケアシステム」が、「自治体に責任を丸投げし、自治体は誰かボランティア団体に責任を丸投げする」ものでは、
社会保障制度が維持されたところで国民の生活が守られない、意味がないものになってしまうのではないでしょうか?

形式上の仕組みが守られることよりも、個々人の生活を守られる為の仕組み作りを切に望みます。
継続して議論の進捗を見守りたいと思います。

 

注記
なお、私はボランティア活動について、不要不急のもののみがあるべきと考えているわけではありません。切実な悩みを抱えており、誰からも手が差し伸べられない現状を変えようとしているボランティア活動は素晴らしいと思います。ただ、政府や公的機関がその活動を前提とするのは間違いだと考えているものです。