お釈迦さまは聞き上手なのか?
2022.01.30
よい聞き上手を提供するためにどうすればよいのか。深く共感していくためにはいろいろ経験を重ね、相手の立場と同じ感情を持てるようになればよい。であれば、世の中のすべてのことを知り、すべての感情を理解できるお釈迦さまは、究極の聞き上手なのか?そんなことを考えてみたのですが、なぜか感覚的にはピンとこず、少し考えてみることにしました。
ちなみに、ここでいうお釈迦様とは、2600年前に実在した仏教の開祖であるゴータマ・シッダールタその人ではなく、宇宙の真理を悟り、森羅万象についてすべてを知りつつ慈悲の心を持つ、仏教上の概念としてのお釈迦様を考えたいと思います。
聞き上手の三大要素から考えるお釈迦様
私たちの考える聞き上手の、心構えにおける三大要素は以下の3点です。
① 関心
② 共感
③ 受容
関心は文字通り、相手に興味を持って内面を知りたいと思うこと。共感は同じ気持を持つこと。受容は、その気持ちになっていいんだよ、というメッセージを出すことです。
この3つを行うことで、話し手は自分の気持ちを率直に話ができ、話をした後にしてよかったという気持ちになれる。そんな風に考えています。
その観点から見れば、まずお釈迦さまは慈悲の心を持つわけですから、相手を救いたいという思いを持たれており、関心があると言えるでしょう。そのうえで、相手の気持ちに対して完全に理解ができているわけなので、共感もできていると言えると思います。もちろんお釈迦さまが一般人のように些細なことで心がざわついたりするわけではないと思いますが、少なくとも人間の言う「感情」と同じものを感覚として持ち、同じ気持を共有することはできると言えるのではないでしょうか。そして衆生のあらゆる気持ちを受け止め、受容することができる。これ以上ない受容でしょう。そんなわけで、三大要素から考える限り、お釈迦様による聞き上手は、おそらく完璧なものになるはずです。
でも。
感覚的になってしまうのですが、お釈迦様に自分が喫茶店で向かい合って自分の話をきいてもらうところを想像してみてください。お釈迦様は、完璧に話を聴いてくださり、共感して、受容してくださる。自分の気持ちをすべて把握し、それでいいんですよ、と言ってくださる状態。ではそれが「聞き上手」なのか?と言われると、ちょっと違う気もするのです。自分が人と話をするときに、それだけでは足りない、何かを求めているのではないかという気がしてならないのです。
お釈迦様に足りないもの
先ほど、お釈迦さまは相手の気持ちを完全に理解し、同じ気持を共有することができる、と書きました。森羅万象を理解しているのですから、私の気持ちを100%完全に私と同じように理解し、私が今感じているのとまったく同じように感じることができているはずです。では、これで満足できるのか?どうやら自分には、ここにこそ満足できないポイントがあるように思います。私は人に話をしながら、実のところ、私の気持ちを100%理解してほしいのではない。理解されてしまったら、むしろがっかりしてしまう。ここで求めているのは、理解されてしまうことではなく、私の気持ちを100%理解しようとし続けることでないかと思い至りました。つまり、
X 共感してもらう
〇 共感しようとしてもらい続ける(でもできない)
ことが、人が話をするときに相手に求めるものなのではないかと。
お釈迦さまは、その万能性ゆえに、人の気持ちを理解「できてしまう」ため、逆に理解せずに聞き続けることはできないのではないでしょうか(できるのでしょうか?わかりません。ただ、お釈迦さまがわざと理解をせずに分からないまま自分の話を聞いてくださったとしたら、それはそれで満足できない気がします。本気で聞いてないじゃないか、となるからです)。
理解してほしいのではなく、理解しようとしてほしい。そんな気持ちが話し手にはあるのではないか。
不完全な人間が聞くから、価値がある
だとすると、むしろ聞く行為の本当の価値は、不完全な人間が不完全ながらも、相手の気持ちを理解しようと真剣に向き合ってくれること、そこにこそある。聞き上手の現場でも、「その話わかります。私も同じ経験をしたことがありますから」というのはご法度です。人は気持ちが分かると言われると、「分かるわけないだろ!」となってしまうのです。だからこそ「共感をしつつも、まだ分かり切ったとは思えないので、もっと教えてほしい」というスタンスを持ち続けることが重要なのです。
さらに言えば、これは聞き手に対して話し手が変容を求めているとも言えます。今まで聞き手が知らない・理解できなかった気持ちを理解してもらうようになる。それによって、自分とより近い存在になってもらう。他人を変えたいという欲求と、より近くに来てほしいという欲求。そんなものが絡み合って、人に話をしたいのではないかと思いました。少なくとも、そういった要素は、どんな会話であれ含まれているのだと思います。
すると、私たちが聞き手の立場になったときには、自分が不完全であることを認識したうえで、自分が変わることを前提に聞く、という態度が、聞き上手を上手にするという観点だけでなく、話し手に対する聞き上手そのもののスキルとして求められるのでは、と思う次第です。
なお、人が仏像に向かって思索を深めたり、場合によっては仏像に話しかけたりするのは、お釈迦様そのものと話すのとは異なる別の行為だと考えています。自分と向き合う行為に近い。こちらは、聞き上手の理想形になりえるのではないかという思いもあります。
弊社は「謙虚さ」、「誠実さ」、「好奇心」を従業員が持つべき3つの要素としていますが、それが合わさる場所に変化への心構えがあるのだと思います。これからも変化を恐れずサービスの充実を図ってまいります。
株式会社こころみ 代表取締役社長 神山晃男