大阪大学 佐藤眞一先生にご相談しています

2013.05.11

fuan

こころみは、大阪大学の人間科学研究科 人間科学専攻の佐藤眞一教授に、事業についてご相談をさせていただいています。

 

先生は老年行動学,老年心理学,老年学,生涯発達心理学を専門とされ、「認知症「不可解な行動」には理由がある」などの
高齢者の精神状態に関する著作も多く出されており、特に高齢者の方の心理、精神がどのような状況にあるのか、
どういう状況でどう変化するのか、といったことに関してまさに第一人者の先生です。

 

ご指導頂いている点は多岐に渡りますが、今日はその中で、高齢者の中でも介護を受けておらず、
重い病気にかかっていない比較的元気な高齢者の方について、特に印象に残った話を書きたいと思います。

 

 

不安と恐怖。

 

この2つの違いは何か。

 

不安は、天に大きな矢があって、下を向いている状態。ただ、その矢がどこを向いているのか、自分に向いているのかが分からない状態。

 

恐怖は、実際にその矢が自分に向いていることを認識している状態。

こう言われると、情景がありありと浮かびますし、実感としても分かりやすいと思います。

 

恐怖。

 

実際に認知症が始まったり、足が思うように動かなくなれば、それは恐怖であり、否応なしにその恐怖に向き合って対応していくことになります。

恐怖は、60代以降の加齢を経験していない自分にも想像がつきやすいです。また、実際にそういった症状が発生すれば、介護や医療の手が差し伸べられ、具体的な支援が開始されます。そのように、金銭的にも制度的にも恐怖に向かっていく仕組みが、日本には出来ています。年金制度や医療制度は、国内では批判も多くありますが、少なくとも現状(将来については非常に大きな問題点を抱えていると私も思いますが)は、世界でも有数の優れたシステムでしょう。

 

不安はどうでしょうか?

 

自分は認知症になるのだろうか。一人暮らしだが、孤独死するのではないだろうか。そういった疑問や漠然とした思いは、
専門家に相談したり本を読むことである程度、分かったり、安心したりできることもあるかもしれません。

でも、それだけでは不安はなくならないでしょう。

不安の解消は、その不安な気持ちを誰かと共有すること、それから、いざと言うときには自分を観てくれている人がいて、助けてくれるという気持ち、その安心感によってこそ、軽減されるのではないか。

そう強く感じました。
不安な状態だと、何か具体的な症状があるわけではないので、それを相談すること自体に抵抗感があります。
「体に悪いところがないのに突然死の相談をすること自体が悪いし、誰に相談していいか分からない」
「自分が不安だと言ったら、逆に家族が不安に思うのではないか」
でも、不安や恐怖に限らず、人にとって一番辛いのは、他人と思いを共有できないことであったりします。
また不安のままでは、自分の中で、前向きに闘っていこうとか、それに向けて具体的に準備しよう、と言った行動に結びつけることができません。
結果として、心の中に悶々としたものが残り、いつまでも晴れやかな気持ちにならなくなってしまいます。
実は、まだまだ元気な高齢者の方が、大きな不幸を抱えていると言えるのかもしれません。

恐怖だけでなく不安も軽減するサービス。そんなものがあってもいいのではないか。こころみはそう考えます。